直虎の「歌うようなお経」に感動!“にゃんけい”の演技にほのぼの…蘇えりし者たち

お寺にいる猫、いつもはそれほど気にならなかったが、今日は、いい場面で、いい仕事してたなぁ、と思った人が多いのでは?

その場面は、かしらが気を失っていた時に薬を口移しで飲ましせてくれたのが南渓和尚だと聞かされた時に縁側で籠に爪を立て、キョロキョロし、一声にゃ~と鳴いていなくなるシーンだ。ほのぼのとした空気が流れたのは言うまでもない。

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直虎を今日まで見続けていたが、あの猫が「にゃんけい」という名前で、人気があったとは、知らなかった。ちなみに直虎のHPには「きょうのにゃんけい」という動画が出ている。

今日の名ゼリフと感動シーン

このドラマには、いままで幾つもの名台詞があった。
が、最近は特に涙が流れるような感慨深いセリフが多い。

今日は特に直虎が、お経を読むシーンは秀逸だった。

鈴木重時の息子「父は歌うような経を聞いてみたいと申しておりました」

鈴木重時が戦で討ち死にし、息子が経をあげてもらいたいとやって来た。
正次の一件で、断ろうとする直虎に「…父は、殿、次郎様の歌うような経を聞いてみたいと生前申しておりました」という。父が直虎たちにした仕打ちをわかった上で息子は「哀れと思ってやってはいただけませぬか」と言う。

そして…
それこそ、歌うような直虎のお経が流れ、寺の周りを包みこむ。

確かに歌うようなお経だった。
聞いているコチラも自然に涙が溢れた。

「美しいお経でございました。父も喜んでおりましょう」
まだ年端も行かぬ年頃で甲冑を身にまとっていて、これからまた戦地に向かうと言う鈴木重時の息子。なんと健気な…。

前回、正次の辞世の句を届けに来た時、本位ではないとは言え、近藤にしたがってしまった自分を悔いてていた鈴木重時。南渓和尚に「できることがあれば」と申し出た。その時の南渓和尚は、怒りに満ちた顔で「但馬を生きて返す手立てを…」と言った場面を思い出す。

鈴木重時はこれから戦に向かうと言い、確か「また来ます」と言ったはずだ。息子の願いで直虎の経を受けることで、ここに来ることが叶った、のが、悲しい。

それでもかしらがこのお経で、気がついたので…よかったよかった。

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南渓和尚「かしら、戻ってくれて礼をゆうぞ」

気がついて少し落ち着いたかしらの枕元で、南渓和尚は言う。
「かしら、戻ってくれて礼をゆうぞ」と。

「それはコチラの言うことでは」とかしらが言うと「正次を失い、気賀の城を失い、井伊の家の命脈も失った。
次郎にとって、そなたを守りきれたことがどれほどの支えになるか」と言う。
「俺なぞで良かったんですかね…」と、かしらは遠くを見る目になる。

直虎の側にいて、彼女のこれまでに辛さ、苦しみに寄り添ってきたおじ、南渓。
彼は以前「あやつは一人では生きられん。鳥は片翼では飛べんからな……」と直虎と正次の関係を表現していた。

正次が亡くなった時、直虎がどれだけ悲しみ、苦しむのかわかっていた南渓だ。その正次を失った直虎の心を救えるのは、かすかな恋心を抱く相手である「かしら」だと、彼は思っているのだ。

今川「大名は蹴鞠で雌雄を決すれば良いと思うのじゃ」

「戦に嫌気が差しました。」と言った家康に、今川が言った言葉。「大名は蹴鞠で雌雄を決すれば良いと思うのじゃ。」なんと大名らしい、甘い考え方だ、と思ったが実は、ちょっと奥が深い。「揉め事があれば蹴鞠で雌雄を決するのじゃ、さすれば人も死なず、馬も死なず、兵糧もいらぬ、人も銭もかからん。」

結局、徳川にしても、今川にしても、井伊にしても…誰も人が死ぬ戦はしたくなかったのだ。徳川が言うように「好き好んで戦をしているわけではない、せねばならぬように追い込まれているだけ」なのだろうと。

「ようございますね」と徳川もいうが、今川は悲しそうに「ところが、それでも戦になる…」と言う。

結局「蹴鞠の上手いものをめぐり奪い合いが起こり…また同じことが起こる」と…。

他にも

龍雲丸「どうしていつも俺だけ生き残っちまうんですぁね」
直虎「我もじゃ、我ばかりが生き残る」「此度もなぜ、但馬ではなく役立たずの我が生き残ってしまうのかと思う」

この二人は、それぞれ愛する者を失い、これまで生き残ったことを辛いと感じている似た者同士のようだ…。

さて、ネタばれによれば、そろそろ菅田将暉が登場してくる。高橋一生がいなくなって視聴率が下がる、などと言われているが、これで、また盛り上がるかもしれぬ(笑)。

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