江戸時代、富士山に初めて登った女性は、ちょんまげを付けて男性のふりをして登ったという。
よっぽど登りたかったんだなぁ。
11月1日の「チコちゃんに叱られる!」のゲストは生駒里奈と奥田民生、どちらも初登場だ。
岡村が「奥田さんがこういう番組に出るのは珍しい!」という。
富士山の頂上て何県?
チコちゃんに「この中で登山が似合うエネルギッシュな大人ってだあれ?」と聞かれ岡村は「生駒山という山があるくらいですから」と生駒を指名。
聞かれた生駒、最初「山梨か静岡」と言っていたが、岡村に「言い回しの問題」と言われ…答えるとチコちゃんが「つまんねー奴だなぁ」と言う。これは生駒の答えが正解という意味だ。
(こういう時は、正解を言われてちょっと悔しいチコちゃんから漢字の問題が出る。問題は「にわとり」だ。3人とも書けなくて「ボーっといきてんじゃねーよ!」と言われる)
〇チコちゃんの答え
⇒富士山の頂上は何県でもない
富士山の頂上には県境がない
詳しく教えてくれるのは、境界協会の主宰、東京日本地図センターの編集室長の小林政能さん。
先生によれば「都道府県・市区町村それぞれ堺はあるが富士山の頂上には県境がない」という。
確かに地図上の富士山の頂上付近には県境がない。
これはどういうことなのか聞くスタッフに先生は「行ってみればわかる」と言い、スタッフは先生と富士山の本8合目に向かう。
初めて富士山に登った女性はちょんまげを付けていた
疲れ始めたスタッフを励ますために先生はウンチクを披露した。
江戸時代、初めて富士山に登った女性(高山たつ)はちょんまげを付けて男性のふりをしていたらしい、という。当時(江戸時代の富士登山)は女人禁制だったため男性の格好をして登山したということだ。
「浅間大社境内 富士山頂上」の石碑があった
5時間後、標高3200メートルに到達下ディレクターがギブアップし後輩ディレクターがその後を引き継ぎ40分後八合目の標高3400mの目的地の到達した。
先生が見せたかったのはここにある石碑。ここには浅間大社境内富士山頂上としるしてあり「本八合目より上は浅間大社の境内」になり、富士山頂上(特別地域気象観測所・登山道などを除い全て)は私有地だという。
そもそも「富士山本宮浅間大社」(静岡)は、古来より噴火を繰り返す富士山を鎮めるために建てられた。
江戸時代、関ヶ原の戦いで勝利し天下人となった徳川家康が、関ヶ原勝利のお礼として神社の造営と共に富士山の8合目以上を神社に寄進した。
なぜ八合目より上だったのか
神主の渡辺さんによれば「富士講(富士山信仰)の方や修験者が富士山の火口に賽銭を投げる『散銭』という儀式をしてお祈りをしていた」という。
かつては富士山の火口の底に神様がいると信じられており、登山をした人は火口に賽銭を投げ、お祈りをしていた。
家康は富士山の火口を巨大な賽銭箱に見立て賽銭箱の底(火口の底=富士山の八合目)を神社の境内にした。
八合目以上の土地は神社の境内となっている(山梨・静岡いずれの土地ではない)
富士山の県境を決めないのはなぜ?
「県境を決めようとしたが折り合いがつかなかった」と先生。
1897年、県境を決めるため宮内省御料局が境界調査を実施したが、両県が富士山の所有権を譲らず県境決定は破談となった。
1951年、富士山頂の県境をめぐり両県知事が話し合いをしたが、そこでも折り合いがつかず、以後富士山頂の県境を争わない事で一致した(新聞にも載っていた)。
2014年、富士山の文化遺産登録を機に県境問題が再び注目されたが、両県の間で県境は決まることなく、富士山の頂上は今も何県でもない。
県境が決まっていない場所は結構ある
日本の県境未確定地は14地域、さらに細かく見ると約170の市区町村が境界未確定地がある。
例えば…
・東京駅のすぐ東側から銀座の横を通って浜離宮あたりの3.5キロほどが区界未確定地。ここは元々、江戸城の外堀りだったところで、そこを埋めて土地を作ったがその時に境界線を決めなかった。そして建物が建ち現在に至っている。
・銀座のコリドー街も何区か決まっていない。
・同じ建物内で、住所が4ヵ所も違っている場所もある。
まとめ
田んぼや道路、建物の中で県が分かれている場所の表示方法が意外と面白いと思った。
逆に県境未確定地や市区町村境界未確定地が結構多いのにもちょっと驚いた。
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