なんで浴槽の事を湯船というのか…
2月14日の「チコちゃんに叱られる!」2つ目の問題は「湯船」。
なんで浴槽の事を湯船というの
「この中(岡村隆史とゲストの前田敦子、土田晃之)で、一番お風呂にゆっくりはいれないくらい毎日忙しい大人ってだあれ?」と聞かれ、NHKの大河とかで忙しい?岡村が立候補する。
「なんで浴槽の事を湯船というの?」と聞かれた岡村。
「船乗りは海水で肌がパリパリになる。その為に舟に水をためて体をぬくめたり、汚れを取るという事をするために…」と答えるがチコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われる
〇チコちゃんの答え
⇒浴槽の事を湯船というのは「湯船」という船があったから
「湯を積んだ船」という事で湯船
詳しく教えてくれるのは、2度目の登場、庶民文化研究科の町田忍さん。
町田さんは「江戸時代に船の内部に浴槽を作り、岸とか川筋にこぎ寄せて入浴させていた舟を、湯を積んだという事で『湯船』と呼ばれた」という。
舟は残っていないが、江戸時代の船の図鑑「和漢船用集」の中にその絵があった。
船の全長はおよそ10mあり、中央に小屋がありその中にお風呂があった。
小屋から湯気が漏れ、入ろうとする裸の人が描かれている。
実際どんなお風呂だったのか
町田さんが湯船を再現したジオラマを作った、というので見せてもらった。町田さんは「調べるだけ調べて形にしたのでかなり正確だと思う」という。
小屋の脇にいて薪を焚いているのが湯船のオーナー(一人で商売)。
彼の脇にはほら貝が置いてあり、岸に着くとこのほら貝を吹いてきたことを知らせた、という。
さらに、中を見られるように小屋の屋根も外せるようになっていた。
開けてみると…人が二人入っていて、混浴だった。
江戸時代は混浴も別浴もあったが、屋形船は構造上分けられないので混浴だった可能性が高い、と先生は言う。
なぜ湯船が出来たのか?
このころ(江戸時代初期)水道の整備は不十分で、家にお風呂があるのは上級武士だけだった。そこで当時の庶民のために生まれたのが銭湯だった。
〇最初に登場したのが戸棚風呂
最初に登場したのがサウナのように蒸気で熱くなった戸棚風呂という蒸し風呂。
しかし、この風呂は、たくさんの人がいっぺんに入れないという欠点があった。
そこで多くの人が同時に入れる、今の銭湯に近い浴槽のある銭湯ができた。
〇郊外の人のためにできた湯船
だが、これらの銭湯は都市部に集中しており郊外に暮らす人々はなかなか行けない。そんな郊外の人の為に作られたのが、船の上に浴槽をのせた移動式の銭湯「湯船」だった。
当時の江戸の町は、地方から海産物や木材などを積んだ船が行き来するため、町には運河や水路がめぐらされており、湯船はいたるところで商売をしていた。
先生によれば、江戸時代銭湯は約570軒(最盛期)あったが、湯船は100軒近い数があったかもしれないという。
この湯舟は郊外の人たちにかなり人気があったという。
湯船の料金は安かった
当時の銭湯の料金は8文(現在の約160円)。
湯船はその半分ぐらいと言われていた(4文ぐらい)。
湯船は、川を沸かしてお風呂にしていたことや、設備がシンプルで維持費があまりかからないという事で、価格を抑えられたらしい。
安さと機動力を駆使して江戸の町で一大ブームを起こした湯船。
郊外に住む人などにとってお風呂イコール湯船だったため、湯船という言葉が浴槽と同じ意味で江戸から全国に広まっていった。
※2月14日「チコちゃんに叱られる!」より参照・抜粋
まとめ
これ、観光地の湖とかでやったら意外と商売になりそうな気がするけど…。
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