男爵イモの名前の由来に秘められた悲恋におもわず涙~チコちゃんに叱られる!

チコちゃんに叱られる

「男爵いも」の名の由来をたどったら、悲しい恋の物語にたどり着いた。
今回の質問は思わぬ結末になったぞ…

7月3日の「チコちゃんに叱られる!」のゲストは堀田茜、と野々村真(オリジナルメンバー)。
チコちゃんに「この中で一番美味しそうにご飯を食べる人ってだあれ?」と聞かれるとゲスト二人は、美味しそうにご飯を食べる演技を始める。
それを見た岡村…「僕行きます!」と不意を突いた。

男爵イモの男爵って誰?

チコちゃんに「男爵イモの男爵って誰?」と聞かれた岡村「男爵?(「あかん、すぐ髭男爵と言おうとした」と口を押える)…そんなに偉い人じゃないんじゃないかな?…いや違うなちょっと待ってください」と、少し考えようとするが、待ちきれなかったチコちゃんに「岡村、もう言っとく、ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてしまう。

○チコちゃんの答え
⇒男爵イモの男爵は川田男爵

男爵とは川田男爵の事

詳しく教えてくれるのは、川田男爵の資料展示施設の鍵屋孝之支配人。
「男爵イモは明治時代に北海道で農業を営んでいた川田龍吉(りょうきち)男爵が品質改良を繰り返して作り上げたジャガイモです」と言う。

男爵様が作ったジャガイモなので「男爵イモ」という名前が付けられた。

川田龍吉男爵

男爵とは川田男爵の事。
男爵イモの名前の由来となった川田龍吉男爵は1856年、土佐(現在の高知県)で川田家の長男として誕生した。

父親は海運業で成功し、後に日本銀行総裁となり男爵の称号が与えられた川田小一郎。
「日本の発展には海外との貿易が重要」と言う父親の考えの元、龍吉は世界一の造船技術を学ぶため21歳の時にスコットランドへ留学した。

帰国後、その知識を生かし船の修理などの仕事をしたのち、現在の横浜みなとみらいに新しいドックを造るべく尽力、40歳の時父が急死したため「男爵」を受け継ぐ。

50歳で北海道へ

転機となったのは龍吉が50歳の時。渋沢栄一から函館ドック(函館船渠会社)の立て直しを依頼され、専務取締役として北海道に渡った

北海道の七飯町に家を買い、仕事の傍ら農場をひらき、自ら畑を耕した。アメリカやイギリスから様々な種を輸入して、当時はまだ珍しかったキャベツやレタスなどの西洋野菜を栽培していたが、特に力を入れたいたのがジャガイモの栽培だった。

自分の財産をつぎ込んで熱心にジャガイモを育てていたそうだ。その姿を見ていた人はどうしてあそこまで夢中になっていたのか不思議に思っていたらしい。

なぜ男爵はそこまでジャガイモの栽培に情熱を傾けていたのか?
誰もわからなかったそのわけは、亡くなって26年後の1977年、農場の倉庫から手紙の束が見つかったことで明らかになった。

男爵イモ 誕生物語

(英語の手紙)
愛しいリョウ手紙を頂くたびにあなたが恋しくなります。
リョウヘ 今夜は貴方の事ばかり考えていました。
土曜日に会うのを楽しみにしています。
愛をこめて、ジニー

…それは英語でつづられた89通のラブレターだった。

NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場
芋の国から 1883初恋 
~男爵イモ誕生物語~
1883年
龍吉がスコットランドへ留学して6年、龍吉(役:板橋駿谷)は書店で一人の女性に声をかけた。龍「すみません、地図を探しているんですが…」
女性「どんな地図をお探しですか?」
龍「布張りの地図あるかな」
女性「調べてみますから名前と住所を教えてくださる?」
龍「ところで、あなたのお名前は?」
女性「ジニー・イーディです」この会話の数日後、龍吉の元にジニーから手紙が届いた。
「川田様、土曜日にあなたが布張りの地図を欲しいと思っていらっしゃるのかどうか確認するのを忘れてしまいました。ご一報いただけましたらすぐに出版社への地図を送るように連絡いたします」“こんな僕にも丁寧に対応してくれるなんてジニーさん、素敵な人だ”と龍吉の顔がほころぶ。

龍吉はその週末すぐに書店を訪れる。
龍「ジニーさん、この前は手紙をありがとう。地図の手配をお願いできるかな」
ジニー「はい、喜んで」
この時龍吉27歳、ジニー19歳、年の離れた二人だがお互いに運命的な物を感じていた。
こうして手紙のやり取りが始まった。

二人は手紙のやり取りをしながら週2回のデートを重ねていた。
休暇には郊外に出向き、二人きりの時間を過ごすこともあったという。

スコットランド・カードロスの畑で龍吉は「これは何を作っているんだ?」とジニーに尋ねた。
「ジャガイモよ、夏になったら一面に真白な花が咲くの」
また一緒に来たいね、と話す二人。

カードロスは自然豊かで夏には、夏にはジャガイモの花が咲き誇る場所。
現在でものんびり休暇を過ごすために都心に暮らす人がやって来る町だ。

結婚の約束をして龍吉は帰国した。

しかし、帰国後ジニーからの手紙は一通も残っていない(来なかった)。
龍吉はジニーと彼女の母親を日本に呼ぶつもりだったが、父親の反対を押し切ることはできなかったようだ。

ジニーへの思いを封印した龍吉は父に勧められた相手と結婚し、8人の子供をもうけ、仕事に打ち込んだ。

そして50歳になり龍吉は(1906年明治39年)北海道へ渡った。

“空気が澄んでいて気持ちがいいところだなぁ、そうだここで農場を拓こう!”

男爵は仕事の合間を見つけては農場へ足を運び、外国から取り寄せた野菜の中から北海道の気候や土壌に合った品種を探した。そんな中でひときわよく育つものが…

「これはここの土に合っているようです。元々はスコットランドの方でも作られていた芋らしいですよ」と聞いて龍吉は“そうか、スコットランドか”その時男爵が思い出したのは、ジニーと一緒に見たあの風景…かもしれません。

海を越えてやってきたそのジャガイモは北海道で多くの実りをもたらした…

当時の事を知る方のインタビューが残っていた(川田農場近くで農業をしていた迫田英彦さん)。
「川田男爵と言う人が珍しいからって、農家に分けてくれた。収穫が多いもんだからわれもわれもと芋を分けてもらって、それで名前は男爵からもらったから『男爵イモ』と言って広がった」と言う。

実業界を引退した後も北海道で畑を耕しジャガイモを育て続けた川田男爵は95歳でその生涯を終えた。
その間、龍吉は心に秘めたジニーとの思い出を誰かに語ることは一度もなかった。

今でも北海道ではスコットランドと同じジャガイモ畑の風景が広がっている。
支配人は言う。「今となってはじにーさんが書いたラブレターから想像するしかありませんがロマンチックな話しがあったんだと思います」と…。

※7月3日NHK「チコちゃんに叱られる!」より参照・抜粋

まとめ

今ではあまり考えられないが、好きな人がいても親のすすめる相手と結婚し中ればならなかった…当時の日本ではよくあることだったらしい(実は私の母も好きな人がいたが、親が決めた結婚相手の「父」と結婚したらしい、現在89歳)。
ましてや外国人ともなれば…悲恋間違いなし、だ。

そして、この恋を誰にも話すことなく亡くなったというのも、男らしいと思う(妻も子供もいれば、話したくても話せなかったのかもしれない。倉庫に隠して置いたというのも、未練かなぁ…涙)。

この話を聞いて思うのはNHKの「マッサン」だ。

同じような境遇でありながら、彼は、エリーを一緒に連れてきてしまった。
ある意味作戦勝ちかもしれない。

あ、彼女も確かスコットランドから来たんじゃなかったかな?

その後のジニーの消息も気になるなぁ…