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春一番は「死を招く怖い風」だったがキャンディーズのヒット曲「春一番」でイメージが変わったらしい…

チコちゃんに叱られる

春一番とは(気象庁によれば)…

立春から春分までの間に、日本海の低気圧に向けて吹く、強い南寄りの風8m/s以上の強い風のこと…を、いうらしい。

3月28日の「チコちゃんに叱られる!」のゲストは…
森七菜(3月30日から始まる朝ドラ「エール」主人公、古山裕一の妻、音の妹、梅役)と西川貴教。どちらも初登場。

本日、最初のチコちゃんの質問は…

春一番ってなに?

回答者は「この中で一番春が似合う素敵な大人」という事で森が選ばれる。
「春の訪れを知らせる風は春一番と言うが、それは何?」と聞かれる。

森は「春一番は、春がやっぱり一番好き!」とキラキラした回答をしたが「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてしまう。

〇チコちゃんの答え
⇒春一番は死を招く怖い風

春一番は死を招く風として恐れられていた風

詳しく教えてくれるのは、気象庁に長年勤め現在気象予報士として活躍している饒村 曜(にょうむら よう)さん。

饒村さんは「春一番は、気象庁では南寄りの8m/s以上の風、という定義があるが、もともと春一番という風は死を招く風として恐れられていた」という。

春一番発祥の地 長崎県壱岐島

春一番発祥の地と言われているのは長崎県壱岐島。
博多港からフェリーで2時間20分、玄界灘に浮かぶ島。

このフェリーが着いた「郷ノ浦港」が春一番の発祥地だった。
(春一番の発祥地の文字が港の堤防に貼ってある)

元居自治公民館長の久間辰雄さんによれば…
江戸時代の末期、安政の旧暦2月13日にほとんどの漁船が南からの突風で53名の漁民が亡くなった。以来南寄りの風を「春一番」と呼び怖れられてきた、という。(「春一番」発祥の地の石碑にも書いてあった)

この地では、古来春に吹く風を「春一(はるいち)」や「カラシバナ落とし」と言っていたが、この海難事故を機に春一番と名称を定めた

この海難事故は(網元の子孫今西章二さんに見せてもらった)当時の記録によると、集落に70軒ほどあった家の半数以上が大黒柱である男手を失うという大惨事だった。

「春一番」が全国に知れ渡るきっかけとなったのは

そんな死を招いた隠岐島の春一番の風が全国に知れ渡るきっかけは…

季語として使用された

民族学者の宮本常一さんが「俳句歳時記 春」に春の季語として使用され、それから気象庁が定義したと聞いている、とのこと。

1960年前後まで報道各社は、春に吹く強い風を「南の強風」「春を呼ぶ嵐」などと呼び、全国では表現がバラバラだった。そこで気象庁は春先に吹く強風の呼び方(を机上?を定めたうえで)「春一番」とし、国民に周知することにした。

しかし、本来怖い風である「春一番」がなんとなく陽気なイメージになっているのはなぜか?

キャンディーズのヒット曲「春一番」

その原因は、キャンディーズのヒット曲「春一番(1976年シングルリリース)」。その曲のイメージが多くの人に浸透し春一番のイメージが変わった。

日本中を勘違いさせたのは、この曲の作詞・作曲をしたハワイ在住の音楽家、穂口雄右さん。

穂口さんは「春一番が吹くとその後に春が来る、待ち遠しいそのイメージで歌詞に書いた。その後にそうじゃないと伺って間違っていたのかなと思いつつ、誰も異論が出ていない、つまり日本全体関係者も含めて『春一番』というタイトルに異論はなかった、というのが私の結論です」という。

しかし、日本人を誤解させた責任を感じていたのか、穂口さんは、春一番の注意喚起アレンジバージョン「あぶない春一番」を作ってくれたという。

それを聞いてみると…これまでの元曲に「あぶないぞ あぶないぞ」という歌詞が所々に追加されていた。

※3月28日「チコちゃんに叱られる!」より参考・参照

まとめ

ちなみに…
関東で吹いた、今年の春一番は2月22日だったらしい。さらに「春二番」「春三番」もあるらしい。

春一番が観測されたとき以降、同じ年に同様の南風が複数回発生した場合には、俗に「春二番」「春三番」と呼ぶことがある。by ウィキペディア

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