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なんで日本語じゃなくて国語っていうの?…ひょっとしたら、標準語が京都弁になっていたかも?

kokugoチコちゃんに叱られる

おぎに
めやぐ
もったげの
たまるか
ちょうじょう
たえがとう
きのどくな

実は、これらの言葉は、全部共通している。
一つでも思いあたるものがあればおのずと分かるはず。
そうこれは各地で使われている「ありがとう」という感謝の言葉なのだ。

国語は「ありがとう」という共通語(標準語)を日本全国に通じる言葉だと教えるための授業だった。

なぜ日本語と言わず国語という?

1月18日の「チコちゃんに叱られる!」2つ目の問題は「国語」について。

「この中で(岡村隆史、森山直太朗、島崎和歌子)一番、学校の授業が得意だった素敵な大人」という事で島崎が指名される。

ドイツの言葉はドイツ語、フランスの言葉はフランス語、日本は日本語。しかの授業は(日本語でとは言わず)「国語」という

「なんで日本語じゃなくて国語っていうの?」とチコちゃんに聞かれた島崎は「わざわざ言わなくても、みんなわかるから、じゃない?」と答える。

するとチコちゃんに「それで問題になると思う?」と突っ込まれる。結局、島崎の答えは前と同じ答えになり「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られる。

なぜ日本語のことを国語というのかも知らず…とナレーションが例にあげた若者言葉の意味(自分もわからないので)調べてみた。

「わかりみがふかい」=よく分かる
「あげみざわ~」=テンションが上がる
「よいちょまる」=幸せ、いい感じ
「マジ卍」=感情の高ぶりや、物事の程度を示す

と、いう意味らしい。
ほとんど知らない…ぞ。

〇チコちゃんの答え
⇒日本語ではなく国語というのは日本を一つにするため

江戸時代 共通語がなくても生きていけた

詳しく教えてくれるのは日本女子大学で近代日本語について教えている清水康行教授。(日本女子大学文学部日本文学科教授)

江戸時代 日本は独立国の集まりだった

江戸時代…
日本は、それぞれの大名が支配する独立国の集まりが300近くあるような状態だった。
さらに場所によって言葉は、バラバラ…

「ありがとう」も地域によってはこんな感じ

(※映像で、日本地図上に出た言葉で、ぜんぶ「ありがとう」という意味。それぞれおもに使っているであろう地域を確認してみた。もちろん、この県のみというわけではない)

おぎに=秋田
めやぐ=青森
もったげの=山形
ありがとう=東京
おおきに=関西
たまるか=徳島
おおきん=三重
あいがて=鹿児島
ちょうじょう=熊本
たえがとう=山口
すまんようにござんす=鳥取
あんやと=金沢方面
きのどくな=富山方面

国から出ずに一生を終える人も多く、人々はお国言葉だけで何不自由なく生きていけた。

江戸時代の人たちというのは、共通語ははっきりとは存在しなかった。

幕末 単語や書き言葉で会話した

幕末の頃になるといろんな地方から集まってくる。
人の間でおしゃべりをするとずいぶん違う言葉なのでよく分からなかった(という記録もある).。

言葉が通じなかった、というこんな例も…

〇戊辰戦争で伊藤博文が山縣の武士を取調する時、言葉が通じないので「問う 年 如何に?」と単語を並べて質問したとか

〇東と西の人が縁談の相談をする時、言葉が通じないので「○○候」と書き言葉で話をしたなどの記録も残っている。

今でも…

確かに今でも青森と鹿児島では随分と言葉が違う。
スタッフが電話で、両県の方それぞれにお国言葉で今年の抱負を聞いてみた。

(電話から流れてくる言葉がカタカナで表示されたが、いずれもわからなかった)

まさに当時はこのような状態、会話をするのも難しいだろう。

現在のようにテレビやラジオもない。普段使っている言葉を疑う事なく話していた日本人にとって共通の言葉がどうしても必要になる時代が訪れる…

国の制度化により共通の言葉が必要となる

明治時代、日本列島を一つの国(一つの国民)という「大日本帝国、日本」という国が制度化されていく。

明治となり、日本は中央政府が日本を治めることになった。
日本を一つの国にまとめ上げるためには誰もが共通して理解できる一つの言葉⇒標準語が必要だという声が明治20年代後半に高まっていく。

その中で日本を一つの国にする言葉を国語と呼ぶようになりそれを教える授業は「国語」となった。

なぜ国語なのか

「言ったもん勝ちなんですね。ある程度以上、多くの人が言うようになればそれが正しい言葉になる。」と先生はいう。

東京帝国大学(文学部長 言語学者)上田万年が、国語という言葉を使い日本の発展には言葉が必要だ、と言ったことが大きなきっかけとなった。

しかし…

方言の中から標準語を選ぶ

全国には色々な方言があり、どこの地域の言葉を標準語にするべきか、政府は専門の委員を作り、全国の言葉を徹底調査した。

そして「首都、東京」の言葉か、長く「日本の中心だった京都」の言葉か、二つの候補に絞られた。しかしそこからなかなか結論が出なかった。

なかなか結論が出なかった理由は…

その理由は…
・幕末の頃に20才くらいの人は、京都が都だったという意識が捨てきれない
・若い人たちは、東京一本でいいじゃないか。
…という事で委員会の中でかなり議論があった。

決着がつかないまま時は10年以上が流れ…
標準語は京都の言葉にすべきだと主張していた人たちが亡くなっていったこともあり、明治37年(1904年)標準語問題に一応の決着がつく。

東京の教育ある人々が使う言葉を標準語とし、それを子供たちに教えることが決まった

(ひょっとしたら、標準語が京都弁になっていたかも…という事でナレーターが京都弁で天気予報を読んだが、意外と面白かった。)

こうして日本語は国語と呼ばれ、みんなが同じ言葉を理解できるようになった。

愛ちゃんの追加情報

国語という言葉を決める際、書く文字をどうするかも議論された。
「漢字を使わない」「すべてローマ字にしよう」などとする案もあったが採用されなかった。
すでに国民の多くが漢字やひらがなを使っていたので止めると混乱するのではないかという意見があったため、だそうだ。

※1月18日「チコちゃんに叱られる!」より抜粋・参照

まとめ

全国の方言の中から東京の言葉が標準語として選ばれたのは明治時代。
それまでは、東京の言葉も方言の一つに過ぎなかった。

もしかしたらナレーションのように、京都弁が共通語になっていたかもしれないし、万が一青森が首都だったら、津軽弁が共通語になっていたかもしれない。

そう思うと明治時代というのは、いろんなものが「言ったもん勝ち」で決められていた可能性もあるなぁ、としみじみ思った。

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