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始球式で空振りをするのは日本だけらしい?~チコちゃんに叱られる!

始球式…
野球ではたぶん素人の有名人がボールを投げるのがお馴染みだが、確かにボールがまともにキャッチャーに届くことはほとんどない。

なのになぜ、バッターボックスのバッターは空振りをするのか…確かに不思議だ。

4月19日の「チコちゃんに叱られる!」、最初の問題は「始球式」について。

ゲストは初登場の石田ひかりと今回で番組出演10回目の大竹まことだ。

なぜ始球式で空振りするようになったのか?

チコちゃんが「…この中(岡村隆史・石田ひかり・大竹まこと)で一番スポーツを愛する素敵な大人ってだあれ?」と聞くと岡村が「…スポーツは大竹さんでしょう、この番組でヘディングやったりしてね」といい、大竹が指名された。

プロ野球の試合の前にやる始球式。
チコちゃんに「どうやるの?」と聞かれた大竹は「誰かが来て、ボールを投げる。バッターは空振りをする」と答えた。

するとチコちゃんは「…何で始球式で空振りするようになったの?」と聞く。

大竹は「…貰った人が飾る時に打った跡とか土が付いてたら嫌じゃん。綺麗なまま渡したいから!」と答えると「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてしまった。

どんな球が来ても空振りをするというのが暗黙の了解となっている、始球式だが…

◯チコちゃんの答え
⇒始球式で空振りするようになったのは、大隈重信さんが偉すぎて空振りするしかなかったから

それを聞いた岡村「忖度(そんたく)したんや!」と言う。

始球式で空振りをするのは日本が発祥

詳しく教えてくれるのは、去年「エースって何?」の時に出演してくれた、野球の歴史に詳しい名城大学外国語学部准教授、鈴村裕輔氏。

彼によれば、始球式自体はアメリカから伝わったもので、記録に残る最古の始球式は1892年、アメリカで行われた「ウエスタンリーグ開幕戦」だったそうだ。

当時の始球式は(今の日本のものとは違って)客席からグラウンドに向かってボールを投げるというスタイルだった。

日本初の始球式

日本に野球が伝わったのは明治5年ごろ。
日本の野球の発展に大きく貢献したのは当時アメリカ遠征なども行っていた早稲田大学野球部だった。※1901年(明治34年)創部。

明治41年来日したアメリカ選抜の野球チーム「リーチ・オール・アメリカンズ」と対戦することになり(アメリカ遠征の中で始球式というのがあると知って)日本でもやってみよう、という事になった。

・記念すべき第一戦は早稲田大学野球部
・アメリカの職業野球選手(プロ)が日本で行った初めての試合
その記念として行う初めての始球式だったので、それにふさわしい人物として選ばれたのが、早稲田大学の創立者大隈重信(内閣総理大臣も務めた政界の重鎮)だった。

すると、突然「NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場」が始まった。

「NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場」

~冷静と忖度のあいだ~

アメリカ選抜の野球チームとの試合当日…

大物、大隈重信が投げるとあって関係者(側近)たちが

「まさかこんなに集まるとは…」
「こうなったらみんなに見えるように大隈先生には、マウンドから投げて頂いた方がいいのでは?」
「それならいっそのこと試合同様、打者が立った方が、大隈先生もさぞ気分を良くなさるだろう」

…という事で早稲田の主将で1番バッターである山脇正治(役:宍戸開)は「じゃぁ山脇君、立ってくれたまえ」といわれる。

驚く山脇。
そこで「打席に立って私はどのようにしたらよいのでしょうか?」と聞く、が「それは君が考えなさい」と言われてしまう。

そして日本初の始球式、大隈がグラウンドに…
(その時の実際の写真もあり、野球帽をかぶり、ご機嫌な様子だ)

マウンドから投げる始球式はおそらく世界初。
投げるのは誰もが尊敬する大隈重信…

打席に入った山脇や側近たちは、大隈が見事にストライクを投げ、会場が盛り上がるという構図を思い浮かべていたに違いないのだが…

実際、大隈はピッチャーがどのように投げるのかほとんど知らなかったのか、彼はボールを転がしてしまう。そして、そのボールはキャッチャーにも届かず、途中で止まってしまった。

この状況に会場の空気も凍り付く。
すると静寂の中、アメリカチームのキャッチャーがボールを拾いに行こうとした。

山脇は“いかん!キャッチャーが取ったら判定はボールになってしまうではないか。大隈先生に恥をかかせてはいけない。どうする、俺?”と考える。

そして…
自分しかいない!と思った山脇は、バットを空振りする。
審判は「ストライク!」という。

こうして山脇の空振りにより大隈のメンツは保たれ、その場は拍手喝采となる。

…これがどんな球が来ても空振りをするという日本の始球式の始まりとなった。

翌日の新聞に、この事は何も触れられておらず「球はバッターボックスに転がった。捕手は直に球を取った。これを(大隈)伯爵に贈呈して始球式が終わった」と書かれていただけだった。

それから14年後、大隈が亡くなった後に出された総合スポーツ紙「運動界」1922年(大正11年)3月号の記事によってこの始球式の顛末が明らかになった。

そこには『捕手はマスクを投げ捨てると狼狽して球を拾いに行った。第1打者の山脇君は思い出したようにバットを振る』と書いてあった。

「大隈は大物でバッターが気を遣ってバットを振ったことが翌日の新聞記事に(書かなかった、あるいは)書けなかった。それだけ大隈重信は偉大な人物だった、ということが言えると思う」と鈴村先生は言う。

山脇正治とはどんな人物?

スタッフは、山脇正治とはどんな人物なのか、現在97歳の彼の娘に聞きに行った。

彼女によれば「空振りをしたという話はあんまり聞いていない、おしゃべりでひょうきんで明るい人だった」そうだ。

※4月19日「チコちゃんに叱られる!」より抜粋・参照

まとめ

アメリカの始球式は…

試合開始前に投手役の人がマウンドまたはマウンド前方から捕手役に向けて1球投球する。基本的に打席に打者は立たない。…以前は、客席の来賓からグラウンド上の選手へボールを投げ渡す方式が取られていた。※ウィキペディアより抜粋

基本バッターは立たない。しかも投げる人は、芸能人というよりは来賓(著名人やOB)だそうだ。

これは、忖度が得意な日本人らしいエピソードだとつくづく思った。

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